胃ろうという言葉、聞いたことがありますか?
今、健康に過ごすことができていても、いつか自分が自分の力で食べることができなくなる…
こんなこと、あまり想像したくないですよね。
でも終末期医療は、多くの方がいつかは直面することだと思います。
胃ろうとは何か、そしてその寿命と問題点について、一緒に考えてみませんか?
胃ろうって?
胃ろうとは、皮膚と胃に穴を開け、栄養剤を体に投与する処置のことです。
何らかの理由で、口から食べたり飲んだりすることが困難な方が、
カテーテルと呼ばれるチューブを通して、胃から直接栄養を摂取しています。
日本では2000年から普及し始め、その後10年間で、国内の胃ろう患者数は、約56万人に達しました。
それからも毎年、患者数は増えていると言われています。
私は、胃ろうとはあまり馴染みがない言葉でした。
そこで、介護関係の仕事をしている友人に聞いてみたところ、
「胃ろうの患者さんはたくさんいるよ」と普通に答えていました…
その背景って何なのでしょう?
胃ろうは一時的な選択肢?
一時的な処置の場合もあるし、そうでない場合もあります。
例えば、病気や事故の後遺症などで、食べることができない状況になってしまったとします。
でも今後、食べられるようになる見込みがある、
または食べる意思がある患者には、胃ろうは、回復を助ける一時的な手段として造設されます。
ですが、高齢や認知症などにより、自力で食べることができなくなり、今後も回復の見込みが低い患者もいます。
そのような場合、胃ろうは、命をつなげる延命治療として造設されます。
胃ろうの寿命
さて、延命治療として胃ろうを造設し、その寿命はどれくらいなのでしょうか?
これは何とも言えない、というのが正直なところです。
胃ろうの造設によって、疾患を引き起こしてしまうリスクもあります。
「平均は2年半」とみている医師もいれば、「患者の生命力による」と考える医療関係者もいます。
胃ろう造設後、5年以上生きておられる患者もいます。
すべての患者に、「胃ろうをしたら○年生きられる」ということは、言えないみたいです。
そこで、次のような問題が出てきます。
延命治療としての胃ろうの問題点
患者本人が望んでいるか?
胃ろうを造設し、延命治療をおこなうかどうかの決定権は、多くの場合、家族などの代理人に委ねられます。
患者本人が寝たきりであったり、認知症で意思の疎通が難しいケースが多いからです。
患者の生死を決めなければならない家族は、精神的負担が大きく、決定は胃ろうに偏ってしまう、と言われています。
意思を伝えることは難しいけれど、病気の痛みや苦しさは、患者本人は感じていると思います。
私の祖父は亡くなる前は、寝たきりで、ほとんど話せませんでした。
でも私が話しかけて手を握ると、強く握り返してくれました。
私の声は祖父にちゃんと届いている、そう思いました。
延命治療を望むかどうかは、個人の自由です。
健康なうちに、本人から家族に伝えておくことが、両者にとってベストかもしれません。
日本は特別?
例えば、オーストラリア、スウェーデン、フランス、オランダなどの国は、
終末期を迎える患者に対して、日本とは違った対応をしています。
これらの国では、食事をすることができなくなった高齢者に対し、胃ろうなどの命をつなぐための人工処置はおこなわないのが普通、と認識されているそうです。
また胃ろうは、患者にとって有害であって、延命措置としての効果はない、との研究結果も報告しています。
「昔は日本のような延命治療をしていたけれども、20年かけてやめました」
私は以前、どこかの国の人がこのように話していたのを、何かのメディアで聞いたことがあります。
延命治療を施された高齢患者、その患者を介護する家族、
その方々を見て、「延命治療はおこなわない」との判断に至ったのかもしれません。
まとめ
・胃ろうとは、胃に穴を開け、直接栄養を体内へ投与する処置である
・胃ろうは、体の回復を助ける一時的な治療でもあるし、延命としての治療でもある
・胃ろうの寿命は、はっきりと断定できない
・延命治療としての胃ろうの問題点
・患者本人は延命を望んでいるか
・海外には、高齢患者に日本のような延命治療はおこなわない、とする国もある
大切な人や自分の人生の最期。
考えるのは少し辛いけれど、ちゃんと向き合って、自分の答えを出したいですね。