先日、接客業の人を対象にしたセミナーに行ってきました。その中で講師が、「今のお客様は、サービスに対して審美眼を持っていらっしゃいます」とおっしゃいました。
何気ない表現でしたが、ステキな言葉の使い方だなぁ。と思ったのですが…
審美眼って、アートの世界の中だけの話じゃないのかな?あれ、どんな意味だっけ?
考えれば考えるほど、本当の意味がわからなくなってきました。日本語って難しい!
いい機会なので、『審美眼』をおさらいしてみます。
『審美眼』の意味
『しんびがん』というただものではない響きの言葉ですが、辞書で意味を調べてみると、“美を識別する能力”とか“美を的確に見極める能力”とあります。
『審美』だけだと、“自然や美術などのもつ本当の美しさを的確に見極めること。また、美の本質・現象を研究すること。”とありました。
やっぱり、アート的な分野で特に使われる言葉なのかな?とは思うけど、『審美』の意味に注目すると、“美の本質”という言葉があるから、必ずしもアートでもないのかしら?とも思えますね。
では“美”とは?
審美眼が“美”に対するものなら、アートだけじゃないことになります。この“美”というのを辞書で調べると、一般的には“うつくしいこと”とか“きれいなこと”があり、私としてはちょっと意外だったのが“りっぱなこと”も意味にあったのです。
そしてさらに、意味の中には哲学の用語としての“美”の解説もあり、“真や善とならぶ最高価値のひとつ”なんて出てくるわけです。
こうなってくると、私の解釈としては、アートだけに限らず、“美”は人それぞれの感覚によるんじゃないの?と思っちゃうのです。
いろいろな場面で『審美眼』が使われている
だいたいは、「すばらしい審美眼をお持ちですね」とか『審美眼』は持っているもの≒持っている感覚みたいな表現で使われるかと思います、第三の目が実際にあるわけじゃありませんから。
セミナーの講師が言った「今のお客様は、サービスに対して審美眼を持っていらっしゃいます」ていうのは、接客マナーの講師なので、接客マナーには“美”がある、というか美学みたいなものがあるから、こうおっしゃったのでしょう。
調べてみると、他にも『審美眼』を使った表現がありました。
仕事を見抜く審美眼という表現があったんですが、これは本人の仕事に対する流儀みたいなものとか価値観とかから、仕事なんてなんでもいい!ではいけませんよ。みたいな表現でした。まったくアート的な美とは違いますが、本人の流儀とか価値観は“美”に繋がるところがありますよね。
女性の審美眼は厳しいという表現もありました。これは、どんな男性を選ぶかの話で、ルックスだけの視覚的な“美”だけをいっているわけではなかったので、りっぱなこととか本質とかを見極める力に注目して『審美眼』という表現を使ったいるようでした。
『審美眼』は鍛えられるの?
一般的な『審美眼』の意味で、アートの世界で発揮する『審美眼』なら、本物の絵を実際にたくさん鑑賞したり、美術史を勉強したりすれば、きっとその世界での『審美眼』はある程度は鍛えられそうな気がします。
でも、“美”とはなんぞや?と考えると、人それぞれで違って当たり前な気もします。そうなると、自分にとっての“美”とは何かを考える方が大切なのかも知れません。
『審美眼』を鍛えて、美術品に投資して稼ぐぞ!となれば、広く一般的な『審美眼』が必要とされるますが、そんなことってあまりないですよね?
特に、さっき挙げた仕事に対する『審美眼』なんかは、“自分にとっての”というのはかなり重要なポイントになりそうです。自分がいいと思うものを選ぶにも、選ぶ基準がはっきりしてないと選び切れないこともありますよね。
あなたの『審美眼』は、自分にとってのうつくしいもの、すばらしいものをしっかり定義するのが『審美眼』の鍛え方なのかも知れません。
まとめ
あまり深く考えたことがない言葉『審美眼』ですが、あらためて考えると、この言葉自体が難しいのかも。
まとめると…
- 審美眼とは、“美を識別する能力”
- 美とは、“うつくしいこと”“きれいなこと”“りっぱなこと”、哲学的には“真や善とならぶ最高価値のひとつ”の意味も
- 一般的には、『審美眼』はアートの世界で発揮されるように思うが、マナーや仕事、異性に対してなど使い方もされている
- その場合には、りっぱなこととか本質とかを見極める力に注目して『審美眼』という表現を使っているよう
- 一般的なアートに対する『審美眼』は、たくさんの絵を見たり、歴史などを学ぶことで鍛えられる
- 自分にとっての『審美眼』は、うつくしいもの、すばらしいものをしっかり自分の中に定義すれば鍛えられる
あなたはどんな『審美眼』を鍛えてみたいですか?