「色眼鏡で見る」「色眼鏡で見られる」っていうのは、何色の眼鏡なの?いい質問ですね、姪っ子ちゃん。
私も同じことを、初めてこの表現を聞いた時に、疑問に思ったのを覚えています。この表現って、どこからきているのでしょうか?
そして「色眼鏡で見る」というのは、一般的にはいい意味では使われません。
でも、考え方と場面によっては、そんな解釈や使い方をできるんだなー。という話を聞いたことがあります。
ここでは、そんな「色眼鏡」について、考えてみます。
色眼鏡のそもそもの意味
まず、「色眼鏡で見る」の意味を確認します。これは、比喩の表現で“先入観を持ってものを見ること”を意味しています。
みなさんもわかると思いますが、「色眼鏡」は、”色付きのレンズをはめた眼鏡“のことです。
どこを探しても、「色眼鏡で見る」の眼鏡の色は○○色です! という答えはない。
ということは、色眼鏡の色は「先入観の色」になるんじゃないでしょうか?
そして、先入観は多くの場合、人それぞれです。
だから、「色眼鏡の色は決まった色ではない」となるのが私的な答えです。
「色眼鏡でみる」がいい意味ではないのは、なぜ?
この疑問の答えを探して、「色眼鏡で見る」の語源や由来などを調べてみたのですが、表現自体の由来などには、私のリサーチ力ではたどり着けませんでした。わかったのは、「色眼鏡」のぼやーっとした起源です。それが2つの仮説がありました。
- ローマの皇帝ネロがコロッセオで観戦する時に、エメラルドのレンズをはめた眼鏡をしていた→ネロの在位は、54~68年
- 中国では、裁判官がスモーキークォーツの眼鏡をかけていた→12世紀頃
古いのは、①の説になります。皇帝ネロは、即位して5年ほどは優秀な政治能力を発揮していましたが、その後に地位におぼれてすっかり暴君になってしまったことことの方が有名ではないでしょうか?
そして、偶然なのかも知れませんが、後世の世界の悪名高い政治家の有名なポートレートは、サングラス姿なことが多いのです。
これって、「色眼鏡」自体に悪いイメージがあって、「色眼鏡で見る」が同じように悪い意味に解釈されるようになった。ということになりますよね?
「色眼鏡で見る」のは仕方がないこと?
この「色眼鏡」は、先入観を意味していて、人それぞれだと言いました。先日の接客業の人を対象にしたマナーセミナーで、「色眼鏡を取り換えましょう」という表現をした講師がいました。ちょっと面白い表現ですよね。
何かを判断する時、無意識で人は客観的な事実に、自分の先入観や経験を加味しているそう。
たとえば、顧客に合わせたセールス戦略やちょっとした判断でも、そこには自分の先入観が入ってしまうのは仕方がないことです。
でも、接客から顧客の先入観や経験を読み取って、その人の色眼鏡の色に近い色眼鏡に取り換えるのが、一歩踏み込んだ接客です。
というような内容を話していました。
「色眼鏡」の類語から考える
先入観は、普通は長い期間をかけて形成されたものなので、自分の先入観を変えるのは難しいですよね。でも、変えようとか他の人に近づけようという努力は、意識さえすればできそうな気がします。
今度は、「色眼鏡」の類語を調べていました。先入観のほかに、“狭い見解、偏った味方、偏見”など明らかなに悪い意味の言葉に交じって、“早まった認識”というのがあります。
だいたいの場面で“早まった認識”をするのは、いいことではないと思われます。
でも、早まって認識してしまったと思えれば、その後の軌道修正はできます。
「色眼鏡で見る」のは、やはりいい意味ではありません。しかし、「色眼鏡で見ない」ように気をつけるのはできそうですね。
同じように考えると、早まった認識で誤解されないような行動を心がければ、「色眼鏡で見られる」ようなことは少なくなるのかも知れません。
まとめ
いかがでしたか?姪っ子ちゃんの何気ない「色眼鏡って何色?」の質問は、実は奥の深い質問でした。
まとめると…
- 「色眼鏡」は先入観の意味なので、その色は千差万別。
- 「色眼鏡」には、ローマ皇帝ネロが使っていた眼鏡から悪いイメージがあると思われる。
- だから、「色眼鏡で見る」が悪い意味で使われる。
- 「色眼鏡=先入観」は時間をかけて培われるもので、変えるのは難しい。
- 難しいことを意識したら、他の人の色眼鏡に近づけたり修正したりすることは可能では?
経験がたくさんある人の色眼鏡の方が、色が濃そうな気がしませんか? あ…これこそ、私の色眼鏡なのかも知れませんが。