SF映画の名作「ブレードランナー」の原作小説では、”高度なアンドロイドと人間とを区別するのは、「他者に共感するか」か否か”であるとしています。
人間である証明、心の本質、という哲学の、一つの答えです。
日常生活でも、コミュニケーション力を養うコツは、相手の話に共感を示すことだ、なんて言いますよね。
「共感」と似た言葉は、共有・共鳴・同感、などなど、沢山あります。
それぞれどう違うのか、どう同じなのか。
「共感」だけが特別なのか?
一緒に勉強していきましょう。
共感とは
他人の考え・行動に、全くそのとおりだと感ずること。
悲しいことに直面し、泣いている友達を見て、同じ出来事に対して同じ悲しみを抱く。
それが「共感」です。
共感の定義は、けっこう限定的です。
上の例で示した「悲しみ」が、少しでもズレていたら、それは共感では無くなります。
なので、友達が悲しんでいるのが私にとって悲しい、という悲しみ方は、共感ではありません。
しいていえば、それは「同情」ということになるでしょうか。
共有とは
一つの物を二人以上が共同で持つこと。
今回取り上げる言葉の中では、唯一、形ある物にも使える言葉です。
法律的な言葉で、複数人が共同で持つ資産を「共有財産」と言います。共有財産は、共有しているメンバー全員が、等しく権利を持つ資産である、とされます。
共有は、気持ちの問題というより、「物事」に焦点が当てられています。
秘密を共有する=たった一つの真実を共有する、というイメージです。
また、大きな一つのものを、皆で分担する、という意味でもあります。
自分一人だけ、秘密を抱えているのは苦しいから、信用できる人には告白したい。
誰かと秘密を共有したい。
皆が知っている秘密、なら、抱えていても重くない……。
「共有した物体の大きさ」は等分でも、それぞれにとって「共有したモノの価値」は違うかもしれませんね。
共鳴とは
共振のこと。
他人の考えや行動などに心から同感すること。
うーん、ここで「同感」が出てきてしまうと、分かりにくいですね。
ここは、「共振」をカギにして理解していきましょう。
共振は、小学生の理科で習いましたよね。
振り子や音叉で、同じ周波数を持つもの同士が、つられて震える現象です。
共振の現象の中で、音が鳴る振動のものを、特に「共鳴」と言います。
「共鳴する」という動詞は、人間を音叉に例えた表現であると言えます。
「共鳴する」ということは、他人の考えに、心の動きがつられてしまうだけでなく、行動までつられてしまうような状態を示唆します。
ガンジーの無抵抗主義に共鳴する=自分自身も無抵抗主義で行動する。
無責任な「わかるわかる、そうだよね!」で終わらないのが、「共鳴」です。
同感とは
同じように考えること。同じように感ずること。
感じたことの程度に言及せず、「同じ”ように”」とぼかしているのが、「同感」の気楽さです。
「あのコーチ、ひどいよね」「ほんと、同感!」
日常会話の中で気楽に使えるのが、「同感」の良いところです。
実際にコーチにしごかれる頻度や内容、それぞれの実力、感情の大きさは、それぞれ違っていても、「おおむね同じ方向」なら、良いのです。
スポコン漫画の古典「エースをねらえ!」では、なぜか格別に鬼コーチにしごかれる主人公と、その他の部員として適度な指導を受ける親友との、友情が描かれます。
しごかれた後に泣く主人公を、親友はずっと慰め、励まし続け、主人公の気持ちに寄り添います。
親友自身はしごかれていないので、「同じ体験で、同じ悲しみを抱く、共感」ではありません。
主人公と同じ量のトレーニングを強いられてはいないので、「共有」でも「共鳴」でもありません。
ただ、同じグラウンドで鬼コーチの振る舞いを目の当たりにし、苦しむ主人公を見守り続け、ひたすら味方であり続ける、懐の広さが「同感」なのです。
違いを整理しよう!
・共感
同じ出来事に対して同じ感情を抱く。
きっかけ・量・形に差が無い。
・共有
一つの物を分かち合う。
分かち合うことで、量が減ることもある。
・共鳴
他人の考えや行動に同感する。
気持ちだけでなく、行動までつられてしまう様な状態。
信念を持った、責任感ある同感。
・同感
同じような感情を抱くこと。
きっかけ・量・形に差があっても良い。
無責任だが、懐の広い同感。
まとめ
沢山の類義語の中で、「共感」だけは、かなり限定的な内容でした。
相手と同じ気持ちになる「共感力」、身につけていきたいものですね。