マンガやアニメで、お高くとまったお嬢様が「ごめんあそばせ」なんて捨て台詞を吐くの、よく見かけますよね。
定型文として馴染んできた言葉ですが、よく考えると「ごめん」「あそばせ」って、不思議な言い回しですよね。
具体的な意味は?と考えると、ますます分からなくなります。
ごめんあそばせなどのお嬢様言葉、博士口調、その秘密は日本史にあり
マンガの世界では、「ごめんあそばせ」に代表されるお嬢様言葉のほか、
語尾に「ザマス」がつく奥様口調、「わしは~じゃ」という博士口調など、
「特定の身分・職業のキャラクターが喋る言葉」のテンプレートがあります。
これは、マンガが描かれ始めた時代背景が深く関わっていると言われています。
マンガの祖・手塚治虫先生が活躍された時代、
こんな喋り方をするお嬢様、あんな博士が多かった、ということです。
手塚先生の時代のマンガに、そういう喋り方のキャラクターが多いため、
現在に至っても、「説明要らずにキャラクターの身分を示すもの」として重宝されているのです。
そのルーツは明治維新、更には江戸時代、もっと広く、日本史全般にさえあります。
「普通の喋り方」=「標準語」は、革命で変わる
アナウンサーが喋る「標準語」の口調と発音。実はこれは、明治時代に始まった、新しい喋り方です。
日本各地が藩に分かれ、大名の裁量による面が大きかった江戸時代を終え、
西洋風の近代国家を目指した明治政府は、
「日本全国の民衆が集まっても、話が通じるように、標準語を作る」プロジェクトに乗り出しました。
「藩ごとの武士」ではなく、「日本国軍の役人・兵士」を作るには、沖縄でも青森でも同じ言葉を話す必要があったのです。
また、明治維新を成した人々は、「薩摩・長州・土佐・佐賀」と、地域の偏った出身でした。
政府を置く江戸(東京)の人々と上手くやっていくためにも、必要な工夫です。
そこで、江戸で話される言葉をミックスして再編したものを、
日本全国の書類や教科書で使用する言葉と定めました。今日の「標準語」の誕生です。
現在の「標準語」が定められる前にも、民を率いる武士の間での標準語はありました。
いわゆる「ござる口調」、候文(そうろうぶん)です。
江戸時代には、役所(藩)での公文書や、武士同士のやり取りでの標準語として使われていました。
武士の身分を示すものであるため、一般市民は「ござる口調」で喋ることはありません。
これが、武家制度を廃止した明治政府の「標準語」との大きな差です。
標準語が庶民に親しまれた、手塚先生の時代、
「お嬢様口調のお嬢様」が多かった理由は、特定の地域に裕福な家庭が多かったためです。
その場所はずばり、東京都の山の手エリア。現在でも、首都の中の首都、一大商業エリアですね。
裕福な家が多い山の手の言葉=お嬢様の言葉、というわけです。
なお、「奥様口調」も山の手言葉がルーツです。
「博士口調」は、広島県の方言がもとだと言われています。
明治維新後、薩摩や長州に親和的な人々が要職に就くことが多くありました。
その結果、「頭の良い偉い人=広島あたりの方言を喋る」というイメージができあがり、今日の「博士口調」ができあがったのです。
ごめんあそばせはお嬢様言葉=山の手言葉
さて、いよいよ「ごめんあそばせ」の「あそばせ」の意味に迫ります。
まず、「お嬢様言葉」と言われるもののルーツは、東京都山の手の方言「山の手言葉」です。
現在の標準語の元にもなっている、山の手言葉。その敬語表現として、
動作を示す言葉に「あそばす」をつける言い方があります。(「遊ばせ言葉」と呼ばれます)
天皇様にまつわるニュースで、「陛下がご遊行あそばす」なんて言い回し、聞いたことがありますよね。
「ごめんあそばせ」の「あそばせ」は、この「あそばす」の変化形。話しかける相手を、敬う言葉なんです。
「ごめん」は、時代劇のセリフによくある「御免」=「失礼します、お許しを」。
なので、「ごめんあそばせ」の厳密な意味は、とても丁寧なお別れの言葉なのです。
まとめ
・お嬢様言葉は、手塚治虫先生の時代から続く、マンガの手法。
・「普通の言葉(標準語)」「普通じゃない言葉」は、時代によって変わってきた。
・カギは日本史、特に明治維新にあり。
・お嬢様言葉=山の手言葉。
・「あそばせ」=尊敬を表す言葉。