生と死の境目ってどこにあるのでしょう?
脳死と判断されても必要な機械を付ければ体は生き続けられる。
でもその人の意識が戻る可能性は絶望的。
でも、その人は目の前で機械に繋がれながらも呼吸している・・・。
現代医療の発達により、
心臓が止まっても電気ショック等で鼓動を取り戻すこともできますし、
延命治療により意識は無くても半永久的に生き続けることができます。
これはもう、人類の技術が神の領域に差し掛かっている気もします。
そのまま自然にしていたら絶対的な「死」の状態になるのですから。
話を戻しますが、では生と死の境目はどこにあるのか?
考えれば考えるほど思考のスパイラルに陥ってしまいます。
今回は様々な視点で「生と死」について考えていきます。
命と心を切り離す考え方
「あなたの心はどこにありますか?」
と質問されたら、あなたはどう答えますでしょうか?
一般的には左胸、つまり「心臓」の位置を指す方が多いのではないでしょうか?
これは幼少のころから絵本などでの心の描写が心臓の位置になっていることが
刷り込まれているからだと推測します。
ですが実際問題、脳死と判断された人はもう自分の意思を持って他者と意思疎通ができません。
「心」と称されている心臓はまだ動いているのに、脳が機能的に死んでいるから他者にはその人の「心」が見えません。
医学的にはその人のことを「まだ生きている状態」と言います。
そもそも、「命」と「心」って同じものなのでしょうか?
筆者は人が産まれるとき、「命が入った入れ物(肉体)」に「心」が宿ると考えています。
命と心を切り離して考えています。
分かりやすく言うと心臓を「(生命維持装置としての)命」
脳を「(個として存在するための)心」と表現します。
牛や豚などの動物も、命が入った体を持っています。
ですが特に人間において「生」とは精神性の方が重視されると考えています。
つまり命の入った体は他の動物と同じなのですが、
心(精神)が入ることで「人間として生きている」と思うのです。
(動物に意思・心が無いとかそういう極論な意味ではないのですが・・・)
ですので筆者は、
心臓は動いている→入れ物の中に「命」ははまだあるけれど、
脳は死んでいる→「心」は死んでいる。
=【人間としての死】
と考えています。
残った命の入った肉体は、心の無い空っぽの、「その人の骸(むくろ)」となってしまう。
魂が抜けたとも表現できますが、少しニュアンスが違うかもしれません。
立場の違う人の見方の違い
次に、立場の違う人との見方の違いでの「生と死」について考えます。
前述で筆者は「脳が死んだら人間としての死」と個人的見解を述べましたが、
遺族やその人を愛していた人にとっては
「それでも彼(彼女)は死んではいない」と言うでしょう。
そして、1%以下の可能性だったとしても
その人が再び目を開いて話をしてくれる・自分を認識してくれる希望を持って
命の入れ物が朽ちてしまわないよう延命治療をするのでしょう。
いえ、もしかしたらもう希望はないけれど
「その人が今まだここで生きている」という事実にすがっているだけなのかもしれません。
立場変わって、自分が生きる為に臓器移植、
ここでは心臓移植が必要な人を例に出します。
その人にとっては、自分にとってのドナーはまず脳死状態であることが条件です。
移植が必要な人にとって、ドナーは「死んだ人」と意識しないと
自分が人の命を奪って生きながらえたと思って自己嫌悪してしまうのではないでしょうか・・・。
↑これはとても倫理的な言葉としてはふさわしくない言い方だと自覚しています。
生前意思表示でドナー登録をしていたドナー本人、そして遺族の判断に感謝する方が大半でしょう。
ですがどこかで「ドナーは亡くなった人」と思わないと、
移植を受けた人の立場上、精神的にとても苦しいものになると思います。
ですがその人の中にドナーの臓器は生き続けている・・・。
その亡くなった人のおかげで自分は生きながらえている・・・。
ドナー患者と移植患者の関係は、倫理的にも、感情的にも、個人の価値観で推し量れるものではないのかもしれません。
ですがあくまで人の立場の違いによって、
「生と死の境目」が判断されるのではという話として例をあげてみました。
【臨死体験】死後の世界は本当にある?
奇跡的に植物状態から回復した人・生死を分ける大手術をした人の話しで、
「(幽体離脱して)寝ている自分を見ていた」
「あの世のような光景が見えた」
「川のようなものが見えた」
と、所謂「臨死体験」をしたという人もいますよね。
こればかりは自分が体感しないと実証できない分、本当かどうかわかりません。
脳科学会では、「脳が見せている錯覚・幻想」だという説が多くでています。
微弱な電波を当てると同じ現象の体験ができるという実証もされているようです。
ですが、こちらの記事では実際に脳外科医の権威的人物が臨死体験をし、
「死後の世界」を確信するほどになったお話がまとめられています。
この死後の世界についての科学的証明が進展すれば、
人類にとっての「生と死の境目」に見方が大きく変わるかもしれません。
まとめ
・「生と死の境目」は命と心を切り離して考える
・人の立場によって「生と死の境目」が変わることもある
・臨死体験の研究の進展で「生と死の境目」の価値観が大きく変わる可能性がある
生と死の境目は個人の倫理的な考えや宗教の考え方によっていくらでも解釈が違ってきます。
記事では筆者の「生と死」についての考え方と、
立場が違う人にとって信じたい方向・考えの違いを例に出しましたが、
人間の生と死についてはまた新たな価値観や考えが生まれることもあるでしょう。
記事を読んでまた新たな考えが浮かんだ場合は、
その考えに思いを巡らせて深く思慮していくことで
生と死の境目について真実にまた一歩近づけるかもしれません。