日常の素朴な疑問。「めいめいざら」の「めいめい」って、どうして「めいめい」というんでしょうか?
語感は可愛い印象だけれど、漢字にすると金辺はごついし、小皿はたいてい陶器だから金辺は不似合いな気がするし……。
銘々皿とは
まず、銘々皿のことをじっくり考えてみましょう。
銘々皿とは、取り分け用の小皿のこと。鉢に盛った煮物などの、大皿料理に対して、個々人が食べる分を自ら取り分けるためのお皿です。
大きさはたいてい、丁度手の平に収まる程度で、丸型で平たいもの。
個々人用の取り分け用の器、というと、広義にはお茶碗や汁椀の仲間になるかもしれません。
が、銘々皿は、「個人専用のもの」という意識が無く、揃いのお皿を使うのが一般的です。
大食いのお父さんは大きなお皿、とはならないのが、お茶碗との大きな違いですね。
銘の字が持つ意味とは
コトバンク(https://kotobank.jp/)で、漢字そのものが持つ意味を調べてみました。
まず現代では、
・器物に刻む、製作者の名前(サイン)。
という意味が、一番身近ですね。他にも、
・碑に刻む、物事の来歴や人物の功績を述べた文。
・座右の銘(特に大事にしている格言)
・上等な器物であることを示すために、特につけた名。刀剣の銘、茶器の銘など。
という意味を持つ漢字です。
中国では、銘といえばもっぱら「座右の銘」の銘のことで、個人が普段使うお皿に座右の銘を記しては、自分を戒める習慣があったそうです。
中華料理といえば、伝統的に、大皿から取り分けするお料理。
焼き物皿も煮物皿も、みんな大きな兼用皿で、手元に置くのは、お茶碗・汁椀・取り分け皿のみです。
日常生活では、おかずはお茶碗の隅にチョイ乗せ、で済ませることもあります。
座右の銘を刻んだ、個人専用のお皿が、個々の取り分け皿の意味に変化した可能性もありますね。
また、コトバンクから、世界大百科事典での項目を牽くと、中国の葬儀の習慣「葬制」が引用されています。
そこによると、柩に添える旗に、亡くなった方の姓名官位を記し、その旗そのものを「銘」と呼んだそうです。
現代の日本の習慣で言い換えると、位牌や個人の墓石、といったところでしょうか。
ここでは、「銘」という漢字そのものが、個人を示す意味を持っています。
銘々とは
銘が二つ並んで「銘々」となると、「一人一人」という意味になります。
「赤穂義士銘銘伝」という書籍には、忠臣蔵に登場する赤穂浪士(架空の人物も含む)一人一人の故事を記しているとか。
明治時代発行の本だそうで、日本語の歴史から見れば、時代の新しい使用例ですが、少し手がかりになりますね。
つまり、世界中の中のそれぞれオンリーワン、の「一人一人」ではなく、
100人以内くらいのグループのメンバーにフォーカスするときの「一人一人」です。
同じ食卓で、大皿料理を取り分ける人数を示すのに、丁度良いサイズ感であります。
ここで、日本料理にとっての「大皿料理」の意味を深堀りしてみましょう。
日本では、中流~上流階級では、一人前をお膳に乗せて食べるのが普通でした。
茶道が流行して、食器にこだわる文化が生まれた一方で、お正月や神事での食事は、「使い捨ての白木」の食器が最上級とされました。
貧しい民衆では、普段の食事は囲炉裏でお鍋を煮て、取り分けて食べることが多かったのですが、冠婚葬祭などでは、上流の暮らしを真似て、お膳で食事しました。
中国では上流階級でも取り分け料理を親しみましたが、日本では、憧れはお膳料理、取り分け料理は素朴、といったイメージが強かったのです。
日本料理の世界で、取り分けることを上等なものに格上げしたのは、懐石料理を生んだ千利休ではないでしょうか。
茶の道は侘び寂びであるという美意識は、鄙びたイメージの取り分け料理とマッチします。
美しい取り分け料理の懐石料理は、やがて冠婚葬祭・宴会用の会席料理に転じて、
特別な日の食事のテンプレートとなりました。これは江戸時代のことです。
「一緒に宴会する仲間」のサイズ感と、「特別な日に必要な取り分け皿」が融合して初めて、
現在の「銘々皿」の感覚が生まれたと行っても過言ではありません。
まったく別の説として、「めいめい」は「めんめん(面々)」が訛ったもの、という説もあるようです。(コトバンク内より、デジタル大辞泉)
しかし、「面々とは本来、各方面、といった意味合いで、個人を指すものではない。
中国には無い、日本語独自の表現」という説もあります。
四面楚歌の「面」をイメージすると分かりやすいですね。
国の周囲を敵に囲まれて、今にも征服されそうな大ピンチ……!
この説では、そもそも日本人が「めん」に「個人」のイメージを持っていたのか、という疑問が残ります。
私としては、「めいめい」は「めんめん(面々)」が訛ったもの、というより、
「めいめい」と「めんめん」を混同した結果、「面々」に個人を指す意味が加えられた。
このように考える方がしっくりするのですが、いかがでしょうか?
まとめ
あくまで個人の見解ですが、結論を出しましょう。
・「銘」は古代中国の葬儀文化の中で、「個人」を示す意味があった。
・中国では、個人用の普段使いの取り分け皿に、座右の銘を刻んで、自分を戒める習慣があった。
・転じて、「食卓を囲む程度の人数」の「グループの中の一人一人」を「銘々」とくくる言葉ができたのではないか?