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カルマとは?業の本当の意味を教えます!

自分の人生いいことなし・・・
きっと前世で悪いことしたから現世でその報いを受けているんだ・・・

そんな風に考えたことがある方、結構いらっしゃると思います。

そんな時に「カルマ(業)」というワードが使われますよね。

「あなたは前世のカルマを背負っているから今は・・・」

みたいな言い回しをするスピリチュアルな人の言葉も良く聞きますよね。

ですが実は、「カルマ(業)」とは本来そういう意味で使われる言葉ではないんです。

本来はどういう意味なのか?
カルマという言葉はどこから来たのか?

本当のことを教えちゃいます^^

カルマ(業)の本来の意味

「前世でやった行いがカルマとなって来世にのしかかる・・・」

このような考え方は本来のカルマの意味ではありません。

カルマ(業)とは、「結果に結びつく行為・行いそのもの」のことを言います。

カルマは名前の響きから聖書等の欧米の宗教からの発祥に思われがちですが、
言葉と概念は仏教から生まれました。

現在、カルマ(業)は「運命を決定づける巨大なエネルギー」という捉え方で言われている傾向にありますが、
本来はそのような意味ではなく、単純に「行い」や「行為」そのもののことを「業」と言っていたのです。

例えば、懸命に働けばお金がもらえる・勉強をすれば成績が上がる・健康に気を付けていれば病にならない等、
因果関係になる当たり前の行為そのもの「カルマ(業)」と言っていました。

どうして違う意味で広まったのか?

どうしてカルマ(業)は「前世の罪の報い」のような意味で日本で広まったのでしょうか?

それは仏教誕生より少し前にマハーヴィラという人が開祖となって誕生したジャイナ教がルーツだと言われています。

ジャイナ教はカルマ(業)が生命の輪廻転生の原動力であると説き、
数々の苦行と瞑想修業を推奨する宗教です。

苦行と瞑想によってカルマを形成している物質を滅ぼし、
カルマから解放され解脱できるという考えでした。

このカルマの捉え方は、現代の日本の宗教やスピリチュアル論とほぼ同じですね。

ジャイナ教はかなりストイックな宗教で、餓死を最高の尊厳死として称えます。
そんなの誰もやりたがらなそうですが、意外と熱心な信者は多く、
現代でもインドでは信仰者の多い宗教です。

仏教の開祖、お釈迦様は、そんなジャイナ教に疑問を持っていました。
お釈迦さまはジャイナ教の信者たちに

「現状の苦の原因をカルマと称しているが、そのカルマを目で見たことがあるのか」
「無いのなら、なぜあるかも分からないものを無くすことができるのか」

と言い、信者たちは言葉を返せなかったと言います。
思ってたより現実的で至極まっとうな意見ですね(笑)

というのも、当時の宗教は直接体に効果を感じる「体験主義」に重きを置いており、
仏教は瞑想などで感じた体験や結果を、後から言語化していたというものでした。
当時のほぼ全ての宗教は「体験」から基づいていたのです。

ですので「頭の中で作り出された想像の産物」を消すためだけの、
体験も何もかも稚拙で中途半端なジャイナ教のような宗教にはお釈迦様は批判していたようです。

現代の新興宗教では教祖の思想・教えに重きをおく傾向にありますよね。
本来宗教とはそのような形式ではなかったようです。

話はそれましたが、日本でカルマの間違った解釈が広まってしまったのは、
このジャイナ教の概念が影響したかと思われます。

カルマ(業)の結果は変えられない

さて、原始仏教では「カルマ(業)は結果を伴う行いそのものである」と説かれていますが、
アビダルマ仏教では「カルマ(業)によってもたらされた結果」を異熟(いじゅく)と称しています。
これもジャイナ教とはまた違いますが、また日本のカルマの捉え方に非常に似ている考えですね。

この異熟とは、前世でやった行いによって輪廻転生する際、
どうのような性質をもって生まれてくるかという考えです。

例えば「明るい人」「気遣いが上手な人」「社交的な人」など、
輪廻転生した際その人の生まれ持った核(気質・個性)のことを異熟と言います。 

悪いカルマをしていた場合
「人をだます癖がある」「欲望が強い」「落ち着きがなく暴れやすい」等、
トラブルにつながりかねない異熟として生まれてくる人もいるわけです。

前世で継続されてきたその人の傾向が現代でも異熟として形成されると説かれています。

大変残念なお知らせですが、仏教では異熟のようなカルマによる結果は
どんなに後から埋め合わせをしても悪い行い(カルマ)は帳消しにならないと教えています。

悪いことをしたら悪いことした分だけ自分に返り、
良いことをしたらその分良いことが自分に返る、至ってかなりシンプルです。

ですので、「苦行に耐えればカルマから解放される」
「良いことをすれば悪いことが帳消しになる」という都合の良い教えは、仏教にはないのです。

現世で罪を犯して、上手く逃げ切れたり軽い刑罰で済んだとしても、
いつか必ずその報いはその人の魂に返ってきます。

「帳消しをするために良いことをしよう」ではなく、
「五戒・十善戒を守り悪いことをしないようにする」という仏教の教えはこの業の性質ゆえなのです。
(もちろん良い行いをすることは大事です)

ですので、新興宗教やカルト宗教などで都合の良い考えを信じて、
また別の人を洗脳していくというような、幸せになるためにと余計な業をしないように気を付けましょう。

まとめ

・カルマ(業)とは「現世の運命を決めつけるエネルギー」ではなく「結果をもたらす行いそのもの」
・ジャイロ教の影響で日本で間違ったカルマの意味が広まった
・仏教ではカルマ(業)の結果は帳消しにできないと説いている

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